参ったなぁ

サリアの街からサンティアゴまでは110km程度。100km以上歩いてスタンプを一日二つ以上押してもらった人には巡礼証明書が発行される。というので、ここからスタートする人が多い。
多い…。
今迄の6倍位の人数。バスツアーで、荷物もなく、たいして歩きもしない人がワンサカいて、巡礼路は一変。

いつもの顔見知りの連中もどこにいるか分からない。
巡礼者同士がフレンドリーにお菓子を分け合ったり、バルでも一緒の席に座ってワイワイと話しをする…。

そんな雰囲気はなくなり、ツアー客がかたまって自分達だけの空間を作っている。

スタンプをもらうのに、30人も並ぶ。
バルでは座る席がない。
ホテルは満室ばかりで泊まれない。
大きな声でワイワイと巡礼路を歩く。

アルベルゲ泊まりだと、写真をネットに取り込むのに苦労する。
いやぁ参ったなぁ。


説明不要だが、蛇足ながら。

心の中で、奇跡を思う人は、「奇跡だ!」と思う。
そうではない人は、「すごい偶然だ!」と思う。

虹はたまにはある現象だが、2本並んでは稀(まれ)なことだ。
まして、その2本が風力発電の風車に2本とも降りていることなんて、あっただろうか。

さて、多くの巡礼者は、これを見てどう感じたろうか。



説明不要だが、蛇足ながら。

心の中で、奇跡を思う人は、「奇跡だ!」と思う。
そうではない人は、「すごい偶然だ!」と思う。

虹はたまにはある現象だが、2本並んでは稀(まれ)なことだ。

さて、多くの巡礼者は、これを見てどう感じたろうか。

人間みんな同じ

人間の行為は本当に世界中で変わらない。
で、日本風に書くと、こうなる。

宿坊/修道院に泊まった。
宿泊費はないとのことだが、そうもいかずお布施/寄付をいくばくかする。

夜7時から夜のお勤め/ミサがあるからでないかと誘われる。
まず本堂/教会に入り、ご本尊/イエス様に敬意を表しお辞儀する/十字を切る。

それから少し説法があって、お経をみんなで合唱する。
日本のお経はインドのサンスクリット語を当時の漢字に当てはめたもの。
で、こちらではラテン語
どちらも現代社会では使われておらず、わかりにくいもの。

30分ほどで終了した。

今の人類が誕生してから、
物質面ではとても豊かになったけれど、
心理面では何も変わらない。
だから、古典の文芸作品や、歴史物語に共感出来る。

昔に生まれても、現代に生まれても、
障害を持って生まれても、元気に生まれても、
恵まれない環境で生まれても、贅沢な暮らしの中で育っても、
幸せと思うか思わないかは、心のあり様である。

ポンフェラーダ

ポンフェラーダという人口6万人位の街に来た。
どうも疲れと右足の親指の付け根の痛みがひどく、動く気になれず連泊した。
で、部屋でゴロゴロ。
写真の整理する気持ちより、ゴロゴロしたい気持ちが強い。
何もすることなく、ただゴロゴロ。
まるで病気のようだが、これ、回復に向かって必要なこと。
何もしない日は、またとても大切なものだ。

さてさて、同じように問題を抱えている人は多くいる。
シンガポール在住のリーさん55歳は左膝が悪く、スピードが僕と似たようなもので、
もう随分一緒に旅を一緒にしている。
が、ついに堪り兼ね、このポンフェラーダからバスで移動していった。

北斎が大好きなパリ在住のマレーネちゃんも同様に膝が悪く、
また休暇の期間が短いので、バスでの移動に切り替えた。

メキシコシティ在住のアナさん67歳は、
「きゃー、日本人と生まれて初めて話した!」と感激してくれたが、
体重の負担が厳しいようで、いつの間にか見かけなくなった。

元気の良い人達は快調に、
そうでない人はそれなりに、進むのが巡礼であり、また人生もそうであると。

足の遅い僕も、それなりに、楽しんでいる。

写真は屋根の上をウロウロするコウノトリ
これはレオンの街だったように思う。
他でも教会の塔の上や民家の屋根などに巣を作っている。
大きな鳥なので、いろいろ問題がありそうに思うが、
マレーネちゃん曰く、赤ちゃんを連れて来る幸福の鳥なので、
コウノトリの好きなようにさせているらしい。
コウノトリ=赤ちゃんという想いは、現代でも生きているようだ。

オルビゴ橋

遠からんものは音に聞け、近くば寄って目にも見よ
我こそは…。
とは、日本の武士の名乗りであるが、ヨーロッパ社会の中世はどうであったろうか。
ここは、長い長いオルビゴ橋。
ドン・スエロ・キニヨーネスDon suero Qiñones は、
1434年7月、1ヶ月間に渡って、この長いオルビゴ橋に陣取り、
名も知れぬ姫への想いから騎馬試合に挑んだ。
勝利の印に奪った相手騎士の槍は数100本にのぼった。
日本にも同じような話がある。
五条大橋で弁慶がおこなった試合だ。
こちらはどこまで事実なのか知らないが、
似た話ではある。
人間が行うことって、世界中変わらないし、また昔から今までも、
同じことを繰り返しているに違いない。

フィンランド

フィンランドから来たおばさんと出会った。
彼女は日本が好きだという。

日露戦争で、日本海軍がバルチック艦隊を破り、ロシアに勝利したことは世界に衝撃を与えたが、
特に中近東、インド、東南アジアの諸国、すなわちアジア全域では特に大きな影響があった。
当時、西欧列強諸国の圧迫を受けていた各国は、これを打開すべき手立てはないのではないか、
と思っていた時に、アジアの東端の小さな国が、大国ロシアに勝利した衝撃は大きい。

しかし、これはアジアだけでなく、フィンランドも同様で、常にロシアの圧迫を感じていて、
そしてこの日本の快挙である。ここにフィンランド親日的土壌が生まれる。

もうその後は、スキージャンプ陣のニッカネンアホネンなどと日の丸飛行隊とのライバル関係など、
両国の関係は意外に深い。
世界エアーギター大会もフィンランド
フィンランドにはサウナ我慢大会や奥様運搬競争など変な大会が多い。)

当方は、ムーミンのファンだよ、というと、とても和やかな会話となった。
母が作った草履のアクセサリーをプレゼントすると、ことのほか喜んでくれた。

翌日、アルベルゲを出発し、1時間も歩いただろうか。
そこで、地図とクレデンシャル(スタンプ帳、お遍路風に言えば朱印帳)を宿に忘れていたことに気づいた。
こりゃ、雨の中、戻るしかないかと途方に暮れている時に、
フィンランドのおばさんが地図とクレデンシャルを持って急いで来てくれた。
感謝、感謝である。

また、まだ母が見守ってくれているのか、と母にも感謝である。

写真は、日曜日、村に唯一のバルに集まるおっさん達。
ちびちびと酒を飲み、話し込むか、トランプをするのが、日曜日の過ごし方。
ほかに、何かすることないのかね〜。
ま、働かないおっさん達の過ごし方って、世界中こんなものかもしれない。

レオン大聖堂

今日は一日雨。
レオン大聖堂は、そのステンドグラスの美しさで有名だ。
西日が入る時だと、刻々と色を変え、風景を変えるそうな。

写真は全体の一部。とても大きくて写真に収まりきれない。
あいにくの雨で、光は乏しかったが、それでも充分な見応えがある。
レオンにはこれを見るためだけに来ても価値がありそうだ。

Sagúnサアグンの村を出て一時間も歩いただろうか。
なんの予感もなく、リュックの左肩紐がすーっと切れた。
ええっ!
こんなことってあるの?!
リュックはもう20年以上も前に韓国で買ったもの。
韓国製品が悪いと言うのでなく、当時の品質であったのだろう。
サンティアゴへの巡礼に行く前に新しく買うかどうか悩んだけれど、
この巡礼が終われば、もうこんな大きなリュックは使うことはないと思い買わなかった。
通りがかったフランス人の方が親切にもテープで繋いで下さったが、しかしテープは持つまいと紐で補強した。
担いでみても、右肩に重みが偏るし、腰にもあたる。
このまま2日間は大きな街はなく、この状態で歩かなければならない。
これは無理だと思い、今きた道を引き返すことにした。

全く予期せぬ事態。
こういうことってあるもんだねぇ。
でも、じっとしていても何も変わらない。
今来たばかりの道を戻るのは、なんだかたまらない思いだけれど、
これ以外に方法はない。

すれ違う巡礼者の方々が怪訝な顔をしている。
偏った担ぎ方なので15分も歩けば方が痛い。
休み休みしながらサアグンの街に戻った。
いろんな人に聞いてはみたが、サアグンは小さな街で、
巡礼に使えるような大きなリュックは街中で売っていないという。
やむなく、サアグンから鉄道を利用してLeónレオンの大都会に移動した。

レオンのアルベルゲ(巡礼宿泊所)の方に、
リュックをたくさん扱っているデパートを紹介してもらい新たに購入する。
新しいリュックは機能的に出来ていて随分使い勝手がよい。
これで、Camino de Santiagoサンティアゴ巡礼が再び始めることができる。

まぁ、長く歩いているといろんなことが起きる。
それはそれで、出来ることをして、前に進む。
かつて中世の巡礼者もそうであったように。