法顕のこと


「この歳でサンティアゴ巡礼?」とも思っていたが、
たくさんの同年輩の方と出会った。
ただ、アメリカのおばあさんで70歳が最高齢で、ほとんどは60歳代だった。

もっともツアー等でバスが伴走するようなケースでは、
もっと高齢者がいるのかも知れない。
日本の朝日ツアーさんのご一行に出会ったが至れり尽くせりの待遇であった。
一方、荷物を担ぎ、ただ歩いて巡礼するような60代の人達は、
いたって元気で早い足取りで僕を抜いていく。
バルセロナ在住のご夫婦は、65歳の旦那様と63歳の奥様。
年金生活者で慎ましやかにアルベルゲに泊まりながら巡礼をしていた。
そして手際よく旅を続けていた。
今は旅行環境が良くなっているので、昔ほど過酷ではないのだろう。

同年輩で旅をした法顕(ほっけん)のことを思えば、僕の旅など問題にならない。
法顕は399年に中国から天竺に旅だった。
西遊記で有名な玄奘三蔵は629年だから、それより200年前のことになる。
法顕は64歳で出発した。(玄奘は27歳での出発)
この当時の歳の数え方は「数え歳」と思われるので、
僕とは同じ歳ということになる。

砂漠を渡り、パミールの雪に覆われた峰を超え天竺に行こうというのである。
西域の過酷な環境と、治安や費用の問題を抱えながらの旅である。
「行路中、居民無し。砂行(砂漠旅行)の艱難、経る所の苦しみは人理に比(たぐい)なし。」
と彼は書き記してる。
彼には同志が10人いたが、病没したり残留したりして彼一人だけが
13年後に帰国した。
帰国した時の年齢は、もう77歳である。
彼は多くの経典を持ち帰り、仏教を広め、そして86歳で亡くなった。
なんとも壮絶な旅である。
彼にそれをさせたのは揺るぎない信念であったとろうと思われる。
そして、彼以外にも多くの僧がインドへ向かい、
なんの記録もないまま消え去ったことにちがいない。

法顕のことを思うと、彼には時間などというものは存在せず、
ただ自分の心のままに突き進んだような気がする。
彼には生きることも、死ぬことも、
同じことと思っていたのではなかろうか。
彼が出発する時、生きて帰れると思っただろうか。
そういう生き死にを超えた発想で旅たったに違いない。

それに比べて僕のCamino de Santiago は、
1600年前の法顕の時代とは違い、道は整備され、
適度に宿も食事もあるという恵まれた旅だった。
同じだったのは、ただ西へ向かって進むということだったろう。