不思議な体験

少し不思議な体験をした。
歩くスピードが遅く、他の巡礼者と歩調が合わないので、だいたい一人で歩いている。

サンジャンピエドポーの村から、暗い中歩いていると、人の声が直ぐ近くでするのである。
誰か巡礼者が来たのかなぁと思っても誰もいない。おかしいなぁと思いつつ歩くと、また人の声が聞こえるのである。何語なのか分からない。ボソボソと聞こえるだけである。ただ、怖い感じは全くせず、何か変な感じ、と思ったまでだ。
日が昇りだすと一匹の白い犬が現れて前を歩きだす。これは、まぁ、よくあることだ。しかし、急な道を白い犬は僕に歩調を合わせるように、いつまでも急坂を登っていく。あれ?犬ってこんなにも付いてくるものなの?Huntoというカフェの近くまで来てフイといなくなった。
多分標高差で200m位はあったのではなかろうか。
かなり高度を上げ、雪の上を歩いている時に、また人の声がする。周りには雪以外何もない。
この時は、直ぐにおかしいと気づいた。しかし、前にしか進めない。気にしながらもどんどん歩いた。何度か同じように人の声が聞こえた。
疲れて休憩している時、道の石ころを眺めていると、人の顔に見えてくる。まぁ、よくある話。
また、少し歩いて休憩し、道の落ち葉を眺めていると、今度も人の顔に見えてくる。それも一人じゃなく大勢の顔だ。若い人、年配者、笑っている人、怒っている人、さまざまだ。
じゃ、さっきの石ころの顔も、ただ単に、そのように見えたのではなかったのかもしれないと思い出した。
修道院に入って、与えられたベッドの前の床には模様があり、今度も人の顔に見える。
おいおい、何かおかしいぜ。

それぞれのことは説明しようと思えば説明できる。
人の声が聞こえるのは、風が強かったので、どこかの声を運んで来たのかもしれない。
白い犬は、そんなこともあるだろう。
雪道で聞こえた声も、雪解けで木が跳ねたりした時の音の聞き間違いではないか。
石ころや、落ち葉、床の模様などが人の顔に見えるのは、疲労困憊していて精神状態が普通じゃなかったからではないか。
説明はできるし、そうだとは思うのだが、こんなに重なって起きるものだろうか。

星の巡礼」を書いたパウロ・コエーリョは、「すべてのことに偶然はない。」としばしば言う。
もしこれらの現象が霊的なものでないとしたら、どのような必然性があって僕の前に現れたのだろうか。

二日目は、こういうことはなかったと言いたいが、一度だけあった。
昼過ぎに森の中を歩いていると、前方からちょっと恰幅の良いおじさんが小さな犬を連れてこちらにヨタヨタという感じで向かってくる。こりゃ下ばかり見て歩いていてはいけないな、と思いつつも石ころの多い道なので、どうしても下を見る機会が多くなる。ふっと気づいて前方を見ると、そのおじさんはいないんである。どこか脇道にそれたかな、と思って歩いて行くが脇道もない。はて、なんかおかしいぞ、だいたいこの先は1時間くらい歩かないと人家はない。まぁ犬の散歩に遠出もあるだろうが、往復すると2時間かかる。それはちょっと考えられんなぁ。あのおじさんはなんだったのろうか。
三日目は、いやぁ、まったく何もなかった。
ピーレネの登りと下りの二日間だけに起きた不思議なこと。
特に恐怖感もないし、違和感もない。何かよく分からない経験だ。
だいたい、自分の見たものしか信じない性格の人間が、見ちゃったら困るよね。

馬や牛、羊などが放牧されているが、人が近づくと大抵離れていく。
しかし、この馬だけは近寄って来て、何か話しかけるように、モサモサと口を動かすのである。
ま、馬にもいろんな性格の奴がいるからね。