ヤーゴン と ガウチョ

先日テレビでパタゴニア紀行を見ていて二つのことが印象に残った。

一つはヤーガン語のことだ。
ヤーガン語は、南米の最南端にあるフエゴ島ホーン岬近辺に住んでいたヤーガン族の言葉だ。
19世紀には3千人ぐらいの話者がいたが、今はただ一人である。
もっとも当時の人口調査は不確かなこともあると想像されるので、
僕はもっと多くの話者がいたのではないかと思っている。

西欧文明との接触はオランダ人が1624年に接触した記録が最初であり、
その後1858年にイギリス人がキリスト教を広めるために伝道所を作り、
イギリス人との接触が始まった。
そしてその交流の中で「ヤーガン語・英語辞典」が1933年に編まれ、
現在は大英博物館に保存されている。

余談だが1993年と言えば昭和8年でM8の昭和三陸地震が起こった年であり、
その時の津波は28.7mと記録されている。

もともとヤーガン族は漁労民で、豊な南米南端の海を生活の糧にしていた。
しかし、この辞書が作られた20年後の1953年には27人となっていた。
西欧人のもたらした疫病による急激な人口減は、中米のマヤの人たちと同じだ。
スペイン人等の混血も進み、現在純粋にヤーガン族でヤーガン語を話す人は、
現在ただ一人の高齢のおばあさんになっている。
そのおばあさんにインタビューしているシーンが放映された。
会話というのは二人以上で成立するので一人では会話が成立しない。
その点で言えば死語であり、このおばあさんが亡くなれば消滅する言語である。
世界には8000の言語があると言われているが、多くの言葉が消滅しようとしている。
ヘブライ語を除けば、一旦死語となった言語が再び使われることはない。
言葉と共にその話者達の持つ文化も失われていく。
文明の発達と共に地球は小さくなり、そして文化も均質化していく。
ヤーガンの人たちの持っていたであろう豊な文化を知る方法は極めて少ない。

もう一つ印象に残ったのはガウチョのことだ。
ガウチョはカーボーイ、牧童のことだ。
でもアメリカ西部劇に登場するようなカーボーイでなく、とても質素で静かな暮らしをしていた。
アンデス山脈東部に17世紀頃から居住していたスペイン人と先住民との混血の人たちで、
牛馬を育てそして共に暮らしていた。

アルゼンチンでは「とてもガウチョだ」と言えば、
寛大で自己犠牲を惜しまないという意味になり、「
ガウチョの言葉」と言えば「武士の一言」を意味するという。

今ではガウチョは消滅したと言われているが僅かに残っている人がおり、
その人にインタビューしている。
その暮らしぶりは考えられないほど質素である。
持ち物と言えば2頭の馬とわずかな身の回り品だけだ。

何を比較するのでもなく、誰と比べるということもなく、
争うこともなく、ただただ自分を受け入れる。夜空には満点の星が輝き、
パンパの大草原には牛や馬がゆっくりと暮らしている。
そしてアンデスの山の神々と共に暮らしている。

この牧童たちの持つ心や文化も、もう失われたと言っていいだろう。

何が幸せに導いてくるのか、僕には分からない。