この国の名前について (1)

昔、日本は「倭」と言い、そしてこれが「大倭」となりこれを「やまと」と呼ぶようになった。
「大和」はあまりイメージの良くない「倭」を「和」に入れ替えて生まれたのだろう。
しかし、いつからか「日本」という字を使うようになり、これで「やまと」と読ませたり、場合によっては音読で「にっぽん」と呼んでいたのだろう。
国名を使うのは外国との関係で必要となるのであり、当時の外国は中国と韓国であった。

この国名変更には記録があり、韓国の「新羅本紀」には「670年倭国が国号を日本と改めた」と記載されている。また中国の「唐暦」には「702年に日本国からの遣唐使があった」と記載されている。
中国や韓国から見れば東の果てにあるので「日の出る国」となり、日本という言い方ができたのではあるまいか。
「日の出る国」については、「日出ずる国の天子、書を日没する国の天子に致す。」と記載された国書を中国に送ったところ隋の煬帝が、激怒したという事を聞いたことがあるが、「日出ずる国、日没する国」は、単に地理的関係を表す言葉として使われていたとの話もあり、この話もどこまで本当か分からない。ま、それはそれとして「日本」という名前は定着した。

中国語では日本を「リーベン」と発音するが、この「リー」は巻き舌で、「ジー」と聞こえても不思議ではない。また国は「グオ」と発音する。
マルコ・ポーロは、「黄金の国・ジパング」としてその存在を世界に知らしめた。
マルコは、黄金の国のことを聞いた時、中国人は「リーべングオ(日本国)」と言っていた。がマルコには「リ」が「ジ」に聞こえ、「グオ」の発音の弱い「オ」が脱落し「ジーベング」と聞えた思われる。これがジパングの起こりであり、そしてこれが「ジャパン」となった。こうやって見ていくと、ジャパンの語源は中国語にたどり着くことになる。果たして事実はどうなだろうか。