不思議 不思議 Besáme mucho 

前々回のブログで、Besáme mucho の事を書きましたが、
この曲を作ったコンスエロ・ベラスケス(Consuelo Velázquez)という女性に
関心を持ち少しネットで調べてみました。
すると随分面白い話が見つかりました。


【年齢】
Wikipedia「ベサメ・ムーチョ」欄によれば彼女は1940年に作曲し、
その時は16歳の誕生日前だったとされています。
1940年に16歳になるという事は誕生年が1924年になります。

同じWikipediaで、「コンスエロ・ベラスケス」欄には、
1924年8月29日生まれと記載された後に、「日本では1920年8月21日生まれ」と
報道されているが、1916年の生まれだったと息子が証言している旨記載されています。

これで彼女には3つの誕生年説がある事になります。
息子の証言する1916年(作曲当時は24歳)
日本(?)で発表されている1920年(作曲当時は19歳)
Wikipediaに記載されている1924年(作曲当時は15歳)
こんなにもバラツキがあるなんて、う〜む。
『この曲を書いた時点で彼女はまだキスを未経験で、
「キスとは罪深いもののように思えた」』
なんて事からすると15歳はぴったりなんですが、
歌詞の内容からすると随分大人びています。
さてさて彼女の本当の年齢はいくつなのでしょうか。

このような事が起きるのは、彼女自身が意図的にした事なのか、
または偶然なのかは分かりません。

【曲の原点】
もう一つ興味深い記事が見つかりました。
音楽レポーターの竹村淳さんが
「ベサメ・ムーチョ〜ポンチョの新しい世界」というCDの中で

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 数年前メキシコ市で耳にした話しによると
 「ベサメ・ムーチョ」はベラスケスさんの女友達の夫が、
 入院中なので見舞った折に、容態が思わしくなく、
 自分の最後が近い事を悟っていた病床の夫君が夫人に
 「たくさんキスして」とせがんだという事を聞いて作った歌だというのである。
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と解説しています。

また他に「戦争にまつわる」説もあるようです。

もしこの病床の夫が妻に求めたとする説をとるなら、
彼女の友達が結婚するような年齢に達していなければならず、
彼女自身も19歳、もしくは24歳という年齢でないとしっくりきません。

ある一定年齢に達した彼女が深い悲しみと慈しみを持って書いたのでしょうか、
はたまた少女時代に「想像」をたよりに男女の関わりを、
未来への思いを込めて書いたのでしょうか。

また、後年彼女は歌詞の一部を変更しています。
それは「perderte después」を、「perdete otra vez」に書き換えています。
「将来あなたを失う」を「再びあなたを失う」に変更したのですが、
この意図はどこにあったのでしょうか。

このような不思議さがある事が、逆に魅力的に思えてしまう今日この頃です。